このマガジンは「畑のそばに生きる様々な人」と「その暮らし」の紹介を通じて、皆さんと一緒に生き方の選択肢を再発掘していくメディアです。

今回お話をお聞きしたのは、今や農業界では知らない人はいないくらい注目の、阿部梨園マネージャー兼ファームサイド株式会社代表取締役の佐川友彦(さがわ・ともひこ)さんです。佐川さんは2014年よりインターンという形から栃木県の阿部梨園のスタッフとなり、「農家の右腕」という畑にでない農園従業員の働き方を作った第一人者です。

東京大学卒後、グローバルの企業ランキングでも上位に名を連ねる大手化学メーカー「デュポン」に入社。輝かしいキャリアを持ちながら、なぜ佐川さんはいち農園の従業員というキャリア選択をしたのでしょうか。本人に迫ります。

きっかけはリハビリのため!?農園で見つけた働く目的

ハタケト:佐川さん、本日はよろしくお願いします。さっそくですが佐川さんが阿部梨園に就職した経緯を教えてください。

佐川さん:阿部梨園で働き始めたきっかけは、ずばり自分のリハビリです。

新卒で入社したデュポンは研究職で入り、1年目から大きな仕事を任せてもらっていました。けど、なかなか思うような研究成果はでませんでした。研究って会社にとって良い成果がでるか悪い成果がでるかはコントロールできなかったり、10年やっても成果がでなかったりします。それなのにグローバルチームだから、成果をあげないと「日本は結果が出せていない」「予算ださないぞ」と言われてしまう世界。加えてぼくは国の研究所にも半出向し、2つの仕事を掛け持ちしていたので仕事量的にもオーバーワークしていました。仕事をしすぎているのに、結果がでない。責任を強く感じ、気負い過ぎていました。しかし当時の自分は不器用だったので、どう調整すればいいかも分からなかった。

2年目までは大丈夫だったのですが、3年目できつくなって、4年目のときにメンタルダウンしました。うつ病になって1年くらい休職してから退職したかな。

そんな経験があったので農園のインターンには社会復帰のリハビリがわりに参加したんです。農業はもちろん厳しさはあると思いましたが、温かく受け入れてくれそうな印象がありました。

実際、阿部梨園は期待していた以上に温かかったですね。特に園主の阿部が他の誰でもない個人としての「佐川くん」を大事にしてくれた

(阿部梨園のみなさん Photo佐川友彦)
(立っている方の一番右側が佐川さん、左隣は園主の阿部さん)

ハタケト:そんな経緯があったのですね。阿部さんの対応がそのまま阿部梨園に就職した決め手になりますか。

佐川さん:阿部という園主に強く惹かれたのは大きかったです。加えて、インターンをしてみて、気になることもたくさん見つかったというのもあります。

阿部は梨作りに関しては十分に高いスキルを持っていました。一方で経営的にはもろい部分があり、改善できることが山のように目に飛び込んできたんです。そこでぼくは「プロミス100」と銘打って、3ヶ月で100件の小さい業務改善を達成するというテーマ設定を行いました。最終的には73件の改善をインターン期間を終えましたが、そこで確かな手応えを感じたので、「自分の分の給料は自分でつくるから、フル雇用でこの改善プログラムを続けさせてほしい」と直談判したんです。

もともとインターンから従業員になることを阿部は想定していなかったのですが、それを受け入れてくれました。生産ではなく総務や経理、プロモーションといった農家が得意としていない畑に出ない領域の仕事を請け負うようになりました

成果は出しつつ、ピリピリは抜いていく

ハタケト:以前お話をお伺いしたとき、「阿部さんのパンツをいかに脱がせるかが大事」とおっしゃっていたのが大変印象に残っています。

佐川さん:そうですね。経営の数字も全部開示してもらい、経営者として耳がいたい話もこちらからしていきました。こうした攻めた態度をとれたのは、結果がでないと梨園にいられなくなる、というプレッシャーを自分に課していたことが大きいです。

研究は結果出なくて当たり前という世界でしたが、今度は結果出すために、ピリピリする時はするのが仕事。梨園が好きだったので、結果を出したかったんです。

おかげさまで3年間で450件もの業務改善に成功し、直売率99%を達成するまでになりました。

とはいえ、今思うと梨園に入った最初の頃はかなりピリピリした空気を出していたかもしれません(笑)。それもだんだん阿部や梨園の周りの方々の人柄にふれる中で、出なくなりましたね

ハタケト:意地悪な質問ですが、これまで大企業で働いていて、そのあと六本木のベンチャー企業にも勤めていたこともあったとお聞きするに、いち農園のスタッフになることに抵抗感みたいなものはなかったのでしょうか。

佐川さん:東京で就職口を探そうかな、とも検討しましたが、東京でライフスタイルや子育ての競争を意識して暮らすよりは、生まれ育った北関東に戻ってマイペースに働こうかなと思ったんです。

ぼくは生まれは群馬県で、田んぼが広がっているエリアで育ち、妻はぼくよりさらに田舎の田んぼしかないようなところで育ったので、お互い生活圏に田んぼがない方がむしろ違和感があったというのもあります(笑)。

(園内には洋梨の樹も)

世のためになる、ソーシャルアクションを

ハタケト:今はどんな働き方をしているのですか。

佐川さん:今は阿部梨園でフルで働くのはやめ、「農家の右腕」として実施してきた経験を他の農業者にも還元するためにファームサイド株式会社を起業して個人の仕事もしています。働いているのは週6くらい。深夜まででは無いですが、起きてる時間は仕事をしていますね。ただ、デュポンの頃の「ハードワーク」とは全然質が違います。当時は働いていても、誰のために働いているのかわからない感じでしたが今は違います。つらさの体感値が100倍違いますね

ただ、昔から「世の中のためになる、サスティナブルな仕事がしたい。ソーシャルアクションを起こしたい。」という気持ちは変わっていません。アプローチが変わっただけという感じです。

ハタケト:佐川さんの言う「ソーシャルアクション」とはどのような仕事をさしていますか。

佐川さん:うーん。ファームサイド株式会社を立ち上げるきっかけにもなった、阿部梨園で行なった業務改善を公開する農家のためのオンライン知恵袋は「ギブ」するところから始まっているのですが、そういった営利から入らず、テイクするより前にギブがある仕事がソーシャルアクションという認識です。それと境界線を引かず、誰でも参加できるオープンネスもソーシャルアクションの特徴でしょうか。

それで言うと、農業はソーシャルアクションを起こしやすい領域だと思います。

農業の存在価値を誰も否定しません。みんなが求めていることなのでソーシャルアクションになりやすいんです。農的暮らしや農村という共同体はカルチャーとして生きていると思いますし、みんな日本の田畑が全部メガソーラーに変わってもいいのか、と聞かれると反対する人が多いと思います。農業を残す、という観点ではみんなが応援してくれます。ぼくは環境の視点からデュポンに入社を決めたのですが、「環境」は儲からないじゃん、ということで同意を得られないことが多い。農業の課題を改善する方が100倍やりやすいと感じます。

(園内にある直売所)

ハタケト:知恵袋の公開から会社の立ち上げと、佐川さんのソーシャルアクションへのギアが入ったのだなと感じます。

佐川さん:転んでもただでは起きないぞ、とは思っていましたが、まさかぼくもこんなに農業界のために動き回るようになるとは思ってもいませんでした(笑)。知恵袋をやるとき、妻には「せっかくわたしが(頑張りすぎる佐川さんのソーシャルアクション熱を)埋めてたのに」と言われました。人のために自分が無理して家族が不幸になるのはサスティナブルでないと学んでいるので、そこはアクセルを踏みすぎないようにしています。

畑の周りは、人からマイナスイオンがでている

(園主の阿部さん Photo佐川友彦)

ハタケト:奥様の話がありましたが、農園で働くようになって家族との関わり方は変わりましたか?

佐川さん:自分がヘルシー働くのは、家庭にとってもヘルシーだと思います。少なくともうつ病で社会に出られないときよりは…。あと、周りの農家から野菜をいただくので食卓に野菜が乗るのはいいですね。

美味しい野菜は家庭の会話を濃くします。「これは誰々さんの〜」「こういう品種があって〜」と会話が生まれるのは、健康維持だけではなくコミュニケーションツールなのかもしれないですね。

ハタケト:佐川さんのような働き方は他の人におすすめしたいですか?

佐川さん:いいですよ!農業に関わる人は人がいいので。会社員のころ感じていた、ビジネスのギスギスした棘が出ていない。人がいいから諦めずに自分も続けられているのだと思います。なんと言うか、人からマイナスイオン出ているイメージです(笑)。

ぼくはそういう農業をやっている人に対してコミットしたい。人に対して諦めていないんです

(インタビューここまで)

どの会社で働くかより、「誰と働くか」が大切。「この人と働きたい」と思える人の所に飛び込めば、全く新しいキャリアを切り開いていける可能性があることを教えてもらいました。

ますますパワーアップしていく佐川さんに注目です!