このマガジンは、様々な形で暮らしに「ハタケ」を取り入れている人やその暮らしの紹介を通じて、自然と自分の双方を愛せる生き方を紹介するメディアです。

日本経済の中心地、東京。都会の生活に憧れを抱き、地元を離れて上京した方も多いでしょう。

東京で画家として活動している俵 圭亮(たわら けいすけ)さんもその一人。幼少時代は長崎で育ち、ハタケのそばで家族とほぼ自給自足の生活を営んでいました。上京後、一度は都会に染まろうとしたものの、ハタケ育ちの自分だからこそできる表現を大切にしたい、と画家としての活動と合わせて実家の種苗農場も経営されています。ハタケトのロゴ制作も俵さんにご担当いただきました。画家と農家、という組み合わせへの挑戦を目指す俵さんにお話を伺います。

(俵さんと、パソコン画面にハタケトのロゴ)

目の前の人に喜んでほしくて絵に夢中になった

ハタケト:俵さんが、絵を書くようになったきっかけは何だったのでしょうか。

俵さんはじめはコミュニケーション手段として絵を描いていました。幼い頃は難聴で言葉でのやり取りが難しかったんです。そのため、画用紙に絵を描いてコミュニケーションをとっていました。

絵を描いていると両親がたくさん褒めてくれたんですよ。僕は3人姉弟の末っ子ということもあり、かわいがられて育ちました。褒めてくれる両親に絵を見せてもっと喜んでほしい、と夢中になって描いていました。

高校を選択するとき、地元の普通科か、少し離れた私立の美術科に進学するか悩みましたが、その時も両親を喜ばせたくて、そして、より本格的に絵を学びたくて美術科へ進学しました。

ハタケトご両親に褒められて才能が開花されたんですね。ご両親は種苗農場を経営されていたとお聞きしました。

俵さん:じゃがいもの種苗農場です。小さい頃からジャガイモの植え付けや種の植え付け、収穫などの手伝いをずっとしてたので、畑は僕にとって生活の一部でした。昼ご飯は母や祖母がタッパーに詰めてくれた、海苔が萎びたおにぎりと漬けものを畑で頬張る。そんな日々が日常でした。

僕は長男だったので実家の農業を継ぐことも迷ったのですが、父の後押しもあり美術の道へ進みました。父は都会に出ることなく地元に残り、農業に人生を捧げてきた人です。もしかしたら外の世界へ未練があったのかもしれません。息子である僕に、想いを託してくれたのかな、と今では思っています。

もうひとつ、美術の道に進むきっかけになったのは、高校生のときに、地方におけるアート活動に熱い思いを抱く先生に出会ったことです。アートが地方に与える可能性や貢献力などを教えてくれたんです。アートの色々な可能性を知り、もっと勉強したいと思うようになって、愛知県の美術大学に進学しました。長崎の人間にとってまず目指すのは福岡。もっと海を渡って本州まで行くのはとても勇気がいることです。でも都会や外の世界での暮らしに憧れがあり、大学から長崎を離れることになりました。

大らかに物事を捉えられるのはハタケ育ちだからこそ

ハタケトその後、大学進学のタイミングで上京されたんですよね。東京での生活はどんな印象でしたか?

俵さんギャップがありましたね。一番印象に残ってるのは、生きている実感の違いです。

僕の出身は、おそらく皆さんが想像される「田舎」よりももっと田舎です。最寄りのスーパーまでは徒歩で1時間掛かります。今日の食事にお肉が食べたいと思ったら父と猪を狩りに行ってました。獲った後はトラックの荷台で皮を剥ぐのですが、その時にお湯をかけると作業が捗るんですが、その時にものすごい獣臭がするんですよ。長崎にいる間はそうしたことがどれも、僕にとって生きている実感だったんです。

一方で都会の生活は、きれいにカットされたお肉がスーパーに並びます。魚も頭付きより切り身の方が売れていて、僕なんか一匹単位で買うのにな、と思ってしまうけど、都会ではきっと、何をどう調理しようかな、とスーパーで考えながら買い物していることが生きている実感なのかもしれません。

最初は田舎育ちであることをコンプレックスに思う気持ちもありました。でも都会では見えない部分を見てきた自分だからこそ、言えることがあると気づいたんです。田舎でだからこそ育めた「生きている実感」を、今は自分らしさでもあると前向きに思っています。

ハタケト:他に、上京してから気づかれた点があれば教えてください。

俵さん:世の中には「理想と現実」という二面性がありますよね。それが都会にいると、理想ばかりが見えてしまいがちなのかも、と思うことがあります。

例えば、ブランド和牛。地名がつけられているので、その地で生まれ育った牛たちがその名を名乗っていると思っている方が多いんですよね。でも実際は、他の土地で生まれた仔牛がその土地に移されて育ち、そのブランド名になっているんです。

このように、「理想」は残しておきたいけど理想と異なる「現実」があって、何とも言えない気持ちになることがあるんですよね。ただ、この「理想と現実の間のグレーゾーン」を受け入れることが大事で、僕はそういうグレーゾーンが個人的に好きです。曖昧なグレーゾーンを受け止めて、愛していくのがすごく人間らしいと思うんです。

俵さん:他にも、多くの人がジャガイモ農家さんはジャガイモが大好物なはずだ、と思っているけど、本人はそこまで好きではないこともある。それでもおいしいジャガイモを育てることはできる。そうしたグレーゾーンはたくさんあると思います。

世の中には色んな矛盾があって、物事に白黒つけずに、なんとかグレーゾーンに落としどころを見つけて生きてく、それが人生だと思います。その矛盾を大らかに受け止められるのは、田舎の農家育ちだからこそだと思うのです。

後悔を受け止めて、もがきながら生きていく

ハタケト:ご自身の作品では、どのようなことを表現されていますか。

俵さん:大学では、新しい表現を探したり最先端のアートに取り組む学生が多いのですが、僕はどちらかというと目の前にあるものや、すでにあるものでどう見せるかを考えて作品を作っています。僕自身が新しいものにはあまり興味がなく、目の前にあるものの本質を捉える方に魅力を感じるんです。

その考えもあって、大学では技法材料研究室に入りました。絵画の技法とか材料を学び、アートの根源となったものを再考するのです。材料を大事にしながら、今目の前にあるものを、まるで檻の中のすみにまだ何か落ちてないかと探すように向き合って、アートに落とし込んでいます。

ハタケト:色々なアートスタイルがある中、自分の方向性に迷いが生じたことはありませんでしたか。

俵さん:もちろんありました、大学で東京に出てきて都会での暮らしに憧れていた頃です。人と被らない個性を出したくて、ある展示会でビジュアルイメージが被らない絵画をランダムにいろんな場所に置いていったんです。題名は全て「俵圭亮」で統一しました。そうすることで自分の「ジャンルにこだわらない」というキャラクターを印象づけたかったんですよね。でも途中で原点に戻り、現在のスタイルになりました。

ハタケト:原点に戻られたきっかけは何だったのでしょうか?

俵さん:きっかけは大学4年生のときの、おやじの死です。僕は母親を小学生の時に亡くしています。姉も年が離れて家を出ていたので、おやじから色んなことを教わりました。おやじのことは尊敬していますし、今の僕の思想はおやじの影響も大きい。

それでおやじの死をきっかけに、自分の制作活動を見つめ直しました。そしてふと気づいたんです、自分は人に伝わる絵を描いているのだろうか、と。今描いている絵は、地元長崎にいる近所のおじいちゃんやおばあちゃんには理解されない、と思いました。身近な人に喜んでほしいと思って描いていた自分の原点を思い出したんですよね。

ハタケト:種苗農場を継いだのもそのタイミングのようですね。

俵さん:おやじは自分より先に亡くなるかもしれないと覚悟してましたし、いつかは実家のジャガイモ農業を継ぐのだろうなと思ってました。でも突然のおやじの死で、一気に現実が降りかかってきて、ものすごく後悔したんです。

いずれは親孝行もしようと思ってたけど、都会にいてずるずる長引いてしまいました。何かもっとおやじのためにできたのではないか。一生この後悔を背負って生きていくのだろうな、と思いました。

でもみんな何かしら苦しい思いや後悔を背負って生きていくんですよね。それはつらいけどもある意味、原点に立ち返ることのできるチャンスにもなり得る。

もがきや後悔を受け止めて、どこかでは自分を認めて許容しながら生きていく。それが人生なのだろうと思います。

(パソコンの壁紙は幼い頃の俵さんとお父様のツーショット)

画家と農家の両立を目指して

ハタケト:現在は画家とご実家の種苗農場の経営をされているようですね。画家と農家は、どんな風に両立されているのですか。

俵さん:拠点は引き続き東京におきながら画家としての制作活動と、おやじから継いだ種苗農場の経営を行っています(生産は自社・契約先が実施)。

これまで、自給自足の生活と制作活動をする芸術家の方はいらっしゃったと思いますが、農業経営を行いながら活動する画家は前代未聞かもしれません。でも農家と画家はどちらも一生を掛けて歩み続けられる道だと思います。不安な側面もありますが、画家と農家の両立はできるのでは、と自分に期待しています。

ハタケト:自分に期待するって素敵な言葉ですね。画家としては今後どのような活動をされていくのでしょうか。

俵さん:東京を中心に活動を進めていきます。現在、古民家に住んでいて、そこをリノベーションして個展スペースを作れたらいいなと思っています。

(古民家をリノベーション中の俵さんのアトリエ)

俵さん:農業をアートにどう活かすかは考え中です。間接的には両立していることが活かされた経験はあるんですよ。例えば地元の夏祭りの際、子どもたち向けのワークショップを開き、ジャガイモに絵を彫ってハンコを作ることなどをしました。スタンプを押して遊んだ後はそのジャガイモを食べる、という企画です。

まだ農とアートが相互に繋がったといえることはそのくらいなのですが、いつかは両方に向き合っているからこそのアートを生み出せるのではないかと思っています。どちらも一生ごとなので焦らず向き合っていきたいです。

ハタケト:ハタケトのロゴ制作にも、俵さんの芸術家としての意志が込められているとか。

俵さん:ロゴ制作のお話をいただいた時に、ハタケトの想いをすんなりと自分の心の中で受け止めて制作活動に入ることができました。なるみさんがナウシカに強くインスピレーションを受けていると聞き、風の谷のナウシカの世界観について調べてみたんです。その時代の文字というのは自然や動物を形取って作ったもので、自然とハタケを愛するハタケトさんの想いとも繋がりますよね。そこで、自然をイメージして作られたアイヌとキルギスの文字を組み合わせました。人と畑、その真ん中に太陽がある光景をイメージにしてロゴを完成させました。

(ハタケトのロゴ案の一つだったもの。世には出なかったものの愛着があるそう)

ハタケト:そんな繋がりを見出して作成いただいたんですね。農家としての目標はありますか?

俵さん:父から受け継いだ種苗農場には経営という形で関わります。自分の活動を通して、食べ物や健康に生きることに興味をもってくれる人が増えてくれたら嬉しいですね。

地方創生など、今世の中の目が地方に向いていて、農業にも追い風が吹いてきてると思うんです。都会の人は満たされてるけど、どこか空虚さも感じている人が多い。そうした方にも、食や自然について興味をもってもらい、日本の未来を作っていくことに貢献したいと思います。

(インタビューはここまで)

都会にいてもどこか心が満たされない。理想と現実の狭間に立たされ、もがく日々。

でも人間の二面性を愛し、大らかに捉えればいい。畑で培ってきた哲学を抱きながら、東京で絵画制作を手がける俵さん。そんな彼が描くアートは、大らかで優しく、すでにある魅力を形にした、心の穴を埋めてくれるような作品ばかりです。

画家と農家の両立を目指す俵さんのこれからの活躍に目が離せません。