このマガジンは、様々な形で暮らしに「ハタケ」を取り入れている人やその暮らしの紹介を通じて、自然と自分、双方を愛せる生き方を提案するライフスタイルメディアです。

今回お話をお聞きするのは、両親と共に「咲里畑(さくりばたけ)」を営む、龍田春奈 (たつた・はるな)さんです。京都市西京区にて旬の野菜をはじめ、ハーブやエディブルフラワーといった多品種を無農薬で育てています。

元々は親元を離れ、医療事務として働いていた春奈さん。なぜ地元に帰り、両親と共に農家に転身したのでしょうか。今回は、そんな春奈さんの人生選択についてお聞きします。

全員が未経験から農家へ転身

ハタケト春奈さんのご家族は全員農業をしたことがなかったとお聞きしましたが、農家になった背景を教えてください。

春奈さん両親は元々自然が好きで、わたしたち姉弟3人を連れて山登りやキャンプなどアウトドア好きだったんです。農業は先に両親が始めたのですが、きっかけは2016年に父親が週末農業学校に行き始めたことでした。最初は農家になるというよりも純粋に野菜づくりを勉強するために通っていたのですが、だんだん農業が面白くなってきたことやその他のタイミングが重なってサラリーマンもやめよう、と思ったみたいです。

(無農薬、無化学肥料にこだわった畑で一緒に作業中、お父様の雅史さんと春奈さん)

春奈さん昔から行動力のある父だからすぐ決断できたと思っていたのですが、当時はかなり迷っていたと聞きました。確かに自分で事業を始めることも初めてですし、まして農業でどれだけ稼ぐことができるのか、家族も食べていけるのかが分からず内心は不安だったみたいです。ただ、農家をやりたいという気持ちや、母の後押しもあり最後はえいや!と決められたんだと思います。

ハタケト:はるなさんが農業に関わるきっかけは何だったのですか?

春奈さん:実家に戻り、両親と共に畑のある暮らしをした時です。両親が就農した頃、わたしは大阪で医療事務をしていたのですが、いつか実家に戻りたい気持ちはずっとあったんです。それで退職をきっかけに大阪を離れて実家に戻りました。

最初は両親の畑を手伝うつもりはなく、別の仕事を探そうかなと思っていたんですけど、自然に囲まれて生活しているうちに、「あぁ、このまま都会の生活には戻れないかも」と思ったんです。大阪に住んでいた頃は屋内にいることが多かったのですが、自然の中で働くことが自分らしいなと気づいたときに、農業が楽しいなと思い始めました

思い返すと、大阪で働いていた時も、田舎に住む友人のところへ遊びに行くことがわたしのリフレッシュでした。今では立場が変わり、友人が咲里畑に遊びに来てくれるようになったのですが、土に触れて喜んでいる姿を見ていると、わたしが畑と友人を繋ぐ架け橋になれるのではないかなと思うようになりました。都心ではなかなか自然に触れる機会がないと思うので、今度はわたしが気軽に畑に遊びに行ける環境を提供したいと思っています。

(咲里畑は現在複数箇所で、5反弱の畑を管理している)


家族が近くにいるという人生の豊かさ

ハタケト:実際にご両親と働くのはどのような感じですか?

春奈さん一緒に仕事ができる安心感があります。それぞれの性格をよくわかっているので、宅配や作付けなど得意分野を活かして分担できるのが強みだなと感じています。

ただ、家族だからこそ遠慮なく意見を言ってしまい、衝突することや甘えてしまうことも多々あります。それでも一緒に仕事できることが嬉しいです。作業場所として、畑の隣に住んでいる祖母のガレージを使わせてもらっているのですが、それまで長期休暇でしか会う機会がなかった祖母とも毎日会えることが嬉しいです。

また、そばで両親を見ているからこそ、小さな変化にも気づけるようになりました。両親ともに、日常的に野菜を食べるようになってお通じが良くなるなど体調面の変化もあったのですが、精神的な変化が大きい気がします。特に母は、昔から責任感が強く考え込んでしまうことがあったのですが、そういうことがなくなりましたね。広い空の下でいる時間が多く、自分だけの殻に閉じこもることがなくなったのだと思います。

(年間で栽培するのは約100種類以上)

春奈さん:わたし自身も農家になり、以前より気持ちが穏やかになりました。土に触れていると一種のセラピーを受けているような感じがしていて、雑草を抜いたり植物たちのお世話をしていると心が落ち着きます。

エアコンの効いた環境も快適だと思うのですが、ふと見上げると鳥が鳴いていたり、綺麗な虹や夕日を見ることができ、今まで体感できなかった環境にいるんだなと感じています。また、前職では人間関係での悩みがあったのですが、そうしたこともなくなりました。もちろん農業は天候などに左右されるという大変な部分もありますが、それまで抱えていたストレスとは全く違う気がしています。

(お母様の龍田佳美さん(左)と一緒にマルシェで販売。出店スケジュールの最新情報はSNSで発信している)

自分にしかできない ”羽休め場所” を作る

ハタケト春奈さんはスナックのママもされているんですよね。

春奈さん:そうなんです。コロナ禍になって最近はあまりできずにいますが、スナックは学生の時からの夢である ”羽休め場所” を作りたいと思ったことがきっかけなんです。学生の頃も様々な活動をしていたのですが、改めて「人と集まって話せる場所」があればいいのにと思っていたんです。社会人になり、実際にどんな形態にしようかと考えた時に「お酒を飲みながらだったらゆるい雰囲気で自由に話せるのでは?」と思いスナックにたどり着きました。

最初は近所のアトリエを月1回間借りしてスタートさせて、畑を手伝うようになってからは咲里畑の良さをもっと広めたいと思い、採れたての野菜を使った料理の提供もはじめました。

ハタケト:あえてスナックにしたのはなぜでしょうか。

春奈さん自分だからできることがしたいと思っていたからです。例えばカフェの運営はもっと得意な人もいると思いますし、スナックの場合はママが存在することに意味があって、お客さんにとっても居場所のような、落としどころみたいな空間できあがる気がするんです。自分が面白そうだと感じた方向へ進んでいたらこうなっていました。

またカフェのようにお客様をきっちりおもてなす場ではなく、お客さんも巻き込みながらゆるい雰囲気で一緒に楽しめる環境にしたいと考えていたこともスナックを選んだ理由のひとつです。ただ飲み会をするだけなら別の場所でもできるのですが、自分を介して知り合い同士が繋がっていくことが嬉しいですし、自分自身が一番楽しいと感じています。

(「スナックはるな」は現在、コロナ禍のためお休み中)

畑と都会をつなぐ間口へ

ハタケト咲里畑(さくりばたけ)というお名前も素敵だなと思ったのですが、これはどのようにして決められたのですか?

春奈さん家族で話し合って決めたのですが、最後は母の案を採用しました。「咲く」には ”笑う・喜ぶ” という意味があることや、野菜だけでなくお花やハーブも育てる予定だったので ”農園” という名前はつけず、「笑顔が咲く里の畑」ということで咲里畑になりました。

(名前の通り、笑顔が咲いたように明るいご両親と)

ハタケト:とても素敵ですね。そんな咲里畑に春奈さんが関わる意味はどんなところでしょうか?

春奈さん:娘のわたしがいることで、若者世代をはじめとしたより多くの人たちに咲里畑を知ってもらうきっかけができると思っています。家族で畑を経営していることに興味をもっていただくこともありますし、マルシェを通じて咲里畑の野菜を知ってもらえることもあります。

そもそも野菜って、育てる農家によっても味が全然違うのが面白いですよね。ただ、一般的に贅沢する時に高級肉を買うことがあっても、野菜が選択肢に入ることが少ない気がしていて。野菜本来の味わいの違いやおいしさを広めて「食の豊かさを広めたい」と考えています。

コロナ禍前までは定期的に「オープンファームデイ」と称した​​農業体験会を開催し、畑で生のまま野菜を味わってもらう機会を作っていました。ここでは、より近い距離で畑の魅力を伝え、その人にとっても居心地のいい場所にしたいという思いから、皆さんをお客さまとして迎えるのではなく、一緒に手伝いながら体験してもらうことを大切にしています。

(コロナ禍前の農業体験。状況を見て開催することも検討している)

ハタケト:最後に、春奈さんは今後どのようなことに力を入れていきたいですか?

春奈さん咲里畑のファンを増やしていきたいです。わたしたちは咲里畑で採れた野菜を「よろこびやさい」と呼んでいるんですけど、そんな野菜たちがどのように育てられているのかを伝えていきたいです。

考えてみるとわたしは、咲里畑もスナックも、フィールドが違うだけで”人と人をつなぐ”という同じことをしているんですよね。咲里畑でのオープンファームデイも落ち着いたら再開し、引き続きわたしらしい方法で食を通じて人を幸せにしていきたいです。

(笑顔が咲く畑で育った「よろこびやさい」)

(インタビューはここまで)

あとがき

両親と共に農家の道を歩む春奈さん。今回お話を伺い、単に農家として野菜を育てるだけでない、家族や自然への愛あふれる想いを強く感じることができました。人とのつながりを大切にし、居心地の良い ”羽休め場所” を作れるのは、心から楽しむ春奈さんの人柄があってからこそ、多くの人たちに支持されているのかもしれません。家族と過ごす。夢を追いかける。いろんな選択肢があるからこそ、わたし自身も春奈さんを見習い、心から楽しむ人生にしたいなと思います。