2020年は「命」について深く、真摯に考えさせられる一年でした。

生きてきた時間が1日、また1日と長くなるにつれ、経歴と守るべきものが増えていくのだからボーッとしてはいられません。

今年で26年目を迎えようとするわたしの身体には、生まれたばかりのときよりも肉眼では見えない「自己評価」という名のラベルが貼り付けられていて、社会という市場に24時間365日休むことなく競売にかけられている気がしていました。

資本主義で廻る経済圏で生活していると、否が応でも自分の「価値」を気にしてしまうのはわたしだけではないはずです。

農家を継がなかったわけ、お酒を売るわけ

真面目に生きるほど窮屈で息苦しく感じるこの世界で、”自分にできることは何か”を必死に考えるけれど、ちっぽけで無力に感じる自分では、一番近くにいる存在ですら満足に幸せにすることができません。

それどころか、悲しませ心配ばかりかけているのではないかと、ときどき不安に襲われて眠れない夜もあります。

選んだ道が正しかったのか、間違いだったのか。

答え合わせは、寿命が終わりを迎える最後の1秒までできないのでしょう。

「農家を継ごうとは思わなかったの?」

わたし自身の生き方について反芻されるかのように問いかけられた言葉。

「新しい世界を見たかったから、農家を継ごうとは思わなかった」

そうなんだよ。わたしは「新しいこと」がしたいんだ。

刺激的で、デンジャラスで、ドキドキするような体験がしたかったのです。

だから小さい頃から近くで見てきた農業という世界に永住するということは全く考えていませんでした。

どんな仕事だって泥臭くて、かっこ悪い

 しかし憧れていた世界に飛び込んでみると、見た目はキラキラしているその世界にも、裏では泥臭くて、農業と似ているところが数多くありました。

クラフトビールを作るブリュワリーさんは、イベントでは楽しそうに自分の作ったビールを振る舞っていますが、その陰でビール醸造に対する内なる情熱を燃やしながら黙々と仕込み、研究していました。

またデザインを作るクリエイターさんは、コンテストで賞を獲得し華やかな舞台に立っていますが、その裏ではデザイン制作に対する信念を貫きながら粛々と作品に向き合い、描き続けていました。

小さな一歩のきっかけは、ハタケがくれた

わたしは、お酒を売っています。

しかし、ただお酒を飲んで欲しいから売っているのではありません。

お酒というメディアを通して伝えたいことがあるから売っているのです。

わたしにとってお酒はただの飲み物ではなく、思想を伝えるメディアです。

その思想の一つが、日本のフードロス問題に対する国民の意識です。

どんな世界にもかっこ悪くみえるかっこよさがあるのだと気づいてからは、農家の娘として、酒類販売業を通して農業に携わる手段を見つけました。

幼い頃から畑で育ってきた中で、両親が丹生込めて作った作物が必要としている人のもとに届かず、捨てられてしまう様子を見てきました。

食料自給率がこれほど低い日本でなぜこれほどのロスが生まれるのか。

比例しない日本の食料自給率とフードロスに素朴な疑問がありました。

年間200万トンという途方もないような莫大な国内生産廃棄量を目の前に、規格外品を使ったフルーツビールの製造販売という小さな一歩を踏み出すきっかけは、一番身近にあったハタケが直面する課題がくれました。

プライスレスな命の尊さ

2020年に生まれた子の母として、未熟ながらも子育て業も同時に遂行していく術も得ることができました。

一つの企業を代表する顔としての立ち振る舞い、考え方、言葉の選び方、人との接し方。

全てが一つの大きな輪となって繋がっていて、循環しているのだと気づいた時から、わたしの生活に関わるもの全てに感謝できるようになれたのです。

自分に貼られている「値札」は他人に貼られるものではなく、自分で自由に貼ることができるものなのだということにも気づけたのだから、その成長を褒め称えてあげたい。

今いる場所が窮屈だと感じたのならば、のびのびと身体を広げることができる場所に繰り出し、たまには腰をおろし、ちっぽけな自分を認めた上で、できることを精一杯全力でやり切ることが2021年にわたしに課せられた使命です。

何ものにも変えがたい息子の命の尊さを感じながら、自らを値下げすることなく、2021年を愛でていけますように。