皆さん、こんにちは。食や環境をテーマにライターをしています、ハタケトでは畑の魅力伝道師、やなぎさわまどかです。

神奈川県とはいえ中間山地の我が家は、1月の朝もだいたい気温は0度前後。家庭菜園もまだ霜で毎朝まっ白です。まさに厳冬期という今は、家庭菜園の話はお休み。
今回は、そもそも農業や環境に関わるライターになった経緯についてお話しします。どうぞお付き合いください。

価値観を変えた10年前のあの日

2014年にフリーランスになるまで会社員だった私は、2011年3月11日の東日本大震災発生時も、南青山のオフィスにいました。
あの日、16時までに送る約束のファイルを添付し、クライアントあてにメールを書き綴っている時に地震が発生。古いビルの6階は大きく揺れ続け、女性ばかりの事務所で悲鳴もあがったことを覚えています。

いま思うと情けない限りですが、当時のわたしは震災など緊急時に関する意識がとても低かったと言わざるを得ません。会社からの帰宅にあたっても情報がうまくキャッチできず、誤った判断を重ねました。
オフィスのそばの青山学院大学には、すぐに避難所ができていたというのに素通り。混乱のカオスと化した駅を目の前にしても「そのうち東横線が動き出すだろう」とずれた予想。自ら帰宅困難者となって横浜の自宅を目指して歩き出す始末。

一緒に歩いていた同僚がバテたことで、偶然入れたネットカフェの個室で朝まで仮眠を取ることにしました。そこで数時間ぶりにつながったネットにより、現実を把握。血の気が引き、家族や友だちの安否確認や、東北の状況をただ見ているうちに一睡も休むことなく翌日となりました。

あれからまもなく10年。
自分の人生が変わった日を挙げるなら、やはり2011年の3月11日だと思います。

(被災地ボランティアの他、エネルギーや食などの映画上映会やイベントの企画運営など、夫、友人と一緒にユニット活動を始めた頃)

タネはゆっくりと育ち

タネや食べ物への意識が明確になったのもこの頃です。
もっと以前からオーガニックなどに興味あったものの、自分の求める食の在り方がはっきりして、食を学び直し、タネをまき始めました。最初の畑はマンションのベランダでプランター栽培でした。

会社勤めと並行して、被災地や避難者の方への活動を続け、それらを書いて発信することも日常になりました。何になるともわからないことを必死でしていましたが、結果的にこれが、その後の仕事においても「タネまき」になりました。

会社以外のアイデンティティが広がり、書いて発信。

暮らしの快適さを自分なりに追求して、書いて発信。

タネをまき、畑や野菜の魅力を感じて、書いて発信。

まさに書き手として、はじまりのはじまり。ちょうど、お世話になっていた環境NPOの方が立ち上げたライター講座に参加する機会にも恵まれ、改めて「伝わる書き方」をプロについて学べたことが、今の自分につながっています。

(2019年に惜しまれながら休刊した季刊書籍『自然栽培』は、書き手として毎回ものすごく大きな学びと成長をもらい、感謝のかたまりのような存在。今でもいち愛読者として手に取ることがよくあります)

タネは多様な世界で、今も成長中

振り返ってみると、今のように環境課題や農に関わることをテーマにし始めたのは、わたしという個人の意識が先にあった「結果」だったといえます。
経営コンサルタントの大前圭一さんが書かれた『時間とムダの科学』という本にこんな一節があるのですが、なんとなく過去の自分に置き換えて納得するものがありました。

人間が変わる方法は三つしかない。一つは時間配分を変える、二番目は住む場所を変える、三番目は付き合う人を変える、この三つの要素でしか人間は変わらない。もっとも無意味なのは、「決意を新たにする」ことだ。かつて決意して何か変わっただろうか。行動を具体的に変えない限り、決意だけでは何も変わらない。

大前圭一『時間とムダの科学』より

わたしの現在地は、過去の自分がセットしたゴールではなく、歩みを続けていたら開けた場所です。いわば「考える前に行動」してきた結果で、まだまだ現在進行形。いまも私を色んなところへ導いてくれています。

実はこの度、このハタケトでも編集を担当させてもらうことになりました。

代表のあべなるみさんをはじめ、ハタケトに関わるメンバーはみんな「いのち」を愛でることに長けています。取材先も、野菜やハタケや農業に関わる、本質的ないのちと向き合いながら生きている方々ばかり。毎回敬意をもって学ばせてもらう気持ちで、愛のある記事を作っていきたいと思います。

どうぞこれからもよろしくお願いいたします。