このマガジンは「畑のそばに生きる様々な人」と「その暮らし」の紹介を通じて、皆さんと一緒に生き方の選択肢を再発掘していくメディアです。

今回は、物語から生まれるクラフトビールブランドBEERful代表のゆるみな。が連載するコラム第7弾をお届けします。

10月は和風名月で「神無月(かんなづき)」と呼ばれていて、「神様を祭る月」いう意味から名付けられたと言われています。

今の季節は畑から美味しいが溢れて来るのですがそれが「畑の神様」からの贈り物であるとしたら、盛大に感謝しなければいけないですね。

本格的に始まった「育児」と「仕事」の同時進行

朝、目覚めてカーテンを開けると金木犀の香りが鼻をくすぐる。

…なんてことはなくて、現実はアスファルトとベランダに植えられた草の香りが鼻を刺激してくる。

秋を感じたくなって近所の直売所で売っていた乾燥された金木犀に沸かしたお湯をいれ、ふっと息を吐くと余計に秋が恋しくなった。

8月末に地元である秋田を離れ、9月から夫のいる千葉のアパートに戻ってきてから育児と仕事で怒涛の日々を送っていた。

実家から届いた「秋の美味しい宝箱」

そんなある日、母から届いた一箱の段ボール。

頑丈に貼られたガムテープを勢いよくビリビリと剥がすと中には我が子の顔よりも大きくて立派な梨と真っ白な宝石のような新米が入っていた。

今年も、実家から格別なおいしいが届く時期がやってきたのだ。

足早にキッチンにむかい、まな板と包丁を用意して届いた梨の皮を剥く。

指先をつたって手首まで滴り落ちるほどのみずみずしさに耐えきれず、お行儀が悪いと思いながらも立ったまま一切れを口の中に頬張った。

「シャリッ」というあの食感に口いっぱいに広がるやさしい甘さ。そして乾いた喉を潤す、みずみずしさ。

立派に育った梨を一口、また一口と口に運びながら、父と母の愛情を再認識する。

働きすぎセンサーを感知して教えてくれる塩ご飯

新米は炊き立てをお茶碗に盛り、塩をつけて食べた。そうしながらぼんやりと考え事をする日が何日か続いた。

ある日、日によってお米にかける塩の量に変化があることに気づいた。

「今日は少なくてもちゃんと塩味を感じる。昨日はこれじゃ足りなかった」

どうやら疲れている時は塩を多くかけてしまうみたいだ。

その日から白米にかける塩の量を測り、仕事量を調整する一つの指標として意識し始めた。

休むことも仕事、働くために休む。

母に「梨と新米、届いたよ、ありがとう」と連絡をいれる。

仕事が大好きなわたしをいつも心配をしてくれる母に言われた「仕事も大切だけど本当に大切なことは何か忘れないでね」という言葉。

はじめはその心配性なところがめんどくさくて「仕事は好きでやってるから」と冷たく突き放すように言ってしまった。

けれど、子育てをしてようやく「自分に余裕がないと、いいものは生まれないし育たない。」ということに気づいた。

赤ちゃんが想像以上にわたしたち親の感情の揺らぎを敏感に感じ取っているように、わたしたちが育て親である食物やもの・サービスにもわたしたちの感情は顕著に現れてしまう。

疲れたら休む。休んでから、また進む。

当たり前のようで、実行に移すのはとても難しい。

でも無意識のうちに身体はバランスをとろうとしてくれている。

そうやって無意識の中で身体が選んだ些細な事象(わたしの場合は塩を多くとる)に対して、意識を向けてみることで、より自分のことを深く理解できるのだと確信した。それが、豊かに生きる糧になる。

実りの秋。

皆さんも秋のおいしい食卓で、自分の身体の変化や感情の揺れに対して意識を向けてみませんか?

ささやかだけど確かに出してくれている身体のサインとともに生きるのは、わたしと、わたしを思ってくれる家族まで大事にする1歩目なのだと思うのです。