このマガジンは「畑のそばに生きる様々な人」と「その暮らし」の紹介を通じて、皆さんと一緒に生き方の選択肢を再発掘していくメディアです。

今回は、物語から生まれるクラフトビールブランドBEERful代表のゆるみな。が連載するコラム第6弾をお届けします。

7月の雨が嘘だったかのように全国的に猛暑の続く日々ですが、お変わりないでしょうか?

9月は和風名月で「長月(ながづき)」と呼ばれ、秋分を過ぎて日が短くなり、夜がだんだんと長くなっていく様子を表しています。

6月22日に出産を終えたわたしは、日々成長する我が子と共に充実した時間を過ごしています。

「いのち」の実感と、「生命」の不思議

生後ゼロ日の我が子

6月22日、18時26分。無事出産を終え、分娩台で生まれたばかりの我が子を見た瞬間、涙が溢れた。

まん丸の目に、ふさふさの髪の毛、赤くなった小さな丸顔。

その姿は、わたしの赤ちゃんの時にそっくりで、「ああ、確かにこの子はわたしのお腹の中で育ったんだ。」と強く感じたのだ。

(よく頑張ったね。わたしの元に生まれてきてくれてありがとう。)

夢見心地でそう何度もつぶやきながら、いつのまにか2人で眠りについた。

21時を上回った頃、病室で初めての授乳。腕の中にすっぽりとおさまった息子は、想像よりもずっと、ずっと小さく、弱い生き物だと思った。

息子の顔をおそるおそる自分の胸に近づけると、まだ何もわからないはずの子が口を開けて必死の顔で吸おうとしてくるのを見て驚いた。

「不思議ですよね。まだ目も見えないのに。」

びっくりしているわたしに気づいた助産師さんが、隣で優しく声をかけてくれた。

「本当にすごいですね。まだおっぱい出なくてごめんね。」

そう、どうやら母乳というものは生まれてすぐには出てくれないらしい。

「きちんと吸えてるし、たくさん吸わせてあげたら少しずつ出て来るようになりますよ」

という助産師さんの言う通り、入院2日目の朝には少しずつ母乳がで出始めた。

母乳を授けるという行為の幸福感

生後2日目

初めは4ccほどしか飲まなかったミルクの量も、日を追うごとにどんどん飲めるようになっていき4日目には「ゴキュゴキュ」と喉を鳴らして飲むほどになった。

このご時世で立ち合いも面会もNGだったため心細い気持ちもあり2~3時間おきの授乳は正直大変だった。

けれど体と体がピッタリとくっついた状態で体温の温かさを感じながら一生懸命に飲んでいる息子の姿を見る時間は「幸福」以外の何ものでもなかった。

産院で出されるご飯は秋田県内の野菜やお肉、お魚が使われていて、ボリューム満点で栄養バランスも取れていたため、母乳を作るのには最高の食生活だったと思う。

食べて寝るだけの生活だったのに出産直後から退院までの5日で3キロも落ちていた。

臭いオナラ、便秘、緑のうんち、素直なカラダ。

生後2ヶ月

あれから2ヶ月、1日に母乳をあげる回数は少しずつ減ってきた。

緑色だったウンチは、徐々に黄色くなり、1日に6、7回出ていたのが今では1日に1、2回に。

息子の身体は、とても素直で、正直だ。

わたしが朝ごはんに鯖を食べた日の夕方は、笑っちゃうほど臭いおならが出る。

母乳をあまり飲まず、ミルクをたくさん飲んだ日はウンチが硬く、便秘気味になる。

かと思えば、ビタミンを摂取しすぎた翌日は、びっくりするくらい緑のうんちだ。

わたしが食べたものの栄養素が、そのまま息子の体をかたちづくる源となり、ダイレクトに影響していることを実感した。

息子が伝えてくれた労りのメッセージ

わたしの体はもうわたしだけのためのものじゃないのだ。

これまでのわたしは、自分のために、自分の好きなものを、自分の好きなだけ我慢せずに食べてきた。

疲れてヘトヘトになって帰ってきた日は、適当にご飯を済ませて眠りにつくこともあったし、辛いことや悲しいことがあった日は、ストレスでやけ食いすることもあった。

だけど、もうそんな日常とはおさらばしなければいけない時がきたのだ。

守るべきもののために、食べよう。

何かを食べることにこんなにも気を遣い、神経を張り巡らせたことが25年間生きてきた中であっただろうか。

こんなにも自分の体のことを大切に考えるようになれたのは、生まれて来てくれた我が子のおかげだ。

これまでのわたしは、少し自分を粗末に扱いすぎていたのかもしれない。

カラダに鞭打って頑張りすぎていたかもしれない。

そんなわたしに、「ちょっと肩の荷を下ろして、深呼吸して立ち止まってもいいんだよ。」と教えるために生まれて来てくれたのだとしたら。

これほど愛おしい存在がこの世にあるだろうか。