※畑のそばの、豊かな暮らし発掘メディア「ハタケト」は、2022年9月1日より愛食メディア「aiyueyo」にリニューアルしました。

こんにちは。太陽が恋しいですね。
岐阜県中津川(なかつがわ)市の写真家百姓で、Koike lab.代表の小池菜摘(こいけ なつみ)です。
畑の魅力伝道師の中では現在唯一の農家。
畑に生かされている人間として、なにをお伝えできるかなあなんてずっと考えながら、今日もいのちを愛でています。

ハタケト、今。

とてもとても長くて寒い梅雨。
昔はとっても長かったらしい梅雨が、ここへきて戻ってきたのも何か、地球の戦略なのかな、とか考えている。

もう7月も終わりだって言うのに、まだ窓を締め切って布団にくるまって寝ている。
そんなことって、今までにあった?

(7月はイベントシーズン。一度だって晴れないまま終わる)

7月の初めから半ばまで、休みなく地面が乾く間もなく降り続け、各地に甚大な被害を与えた梅雨が終わりそうで、終わらない。
この雨が私たちに教えたことはたくさんあるけれど、とりわけ私が学んだことを今日は書こうと思っている。

農家はおかげさまでとてもとても、この違和感について文章に認める時間がないほどに、追われている。

崩れた圃場の修復、続く長雨で思うように進まない除草、
それから、死んだ野菜を弔うこと。

(2020年7月の定点観測)

農家の嫁になって9年、岐阜県中津川市に移住して6年。
芋農家という性質からか、基本的には生育は安定していた。たくさん採れる年は周りの農家もたくさん採れるから値が崩れて文句を言ったりもした。

手入れが甘く、殺してしまうことがごくまれにあった時には本当に反省したし、小さくしか育てられなかった年は、翌年の土づくりや肥料について考察するいい機会になった。

お世話をすることも、草をとることも、それは重労働ではあっても、
見えないけれど土の下で生きている彼らのためであれば、そう大したことでもないと思っていた。

筋肉痛が誇らしかった。

この雨でKoike lab.の圃場は土が流され、道路を埋め尽くした。

幸いすでに植えていた子たちはなんとか踏ん張ってくれて、流され雨には済んだ。いや、多分死んでしまった子はゼロではないのだけれど、仲間がそこに引き続き根を張っている。

(圃場が川になる)

そもそもこの時期は太陽を燦々と浴びて芋たちは成長して行くものなので、今年は日照不足だ。
小さくて、細くて、見た目弱々しい子が育っている。
根っこというものは、水分を探して地中を伸びて行くものだから、探さなくたって水が足りている現状では、このあとも伸びないままものすごく小さなお芋のままになってしまうのかもしれない。

とはいえ、これから生育する子はまだいいのだ。

問題は、もう生育を十分に終えて、収穫を待っていた子たちだった。

じゃがいもは皮がナイーブなので、晴れた日にフカフカの土でもって収穫しなくてはいけないんだけれど、それができない。
雨でもできる範囲で、お世話をした。
目に見えるところは、対処したつもりだった。

でも死んだ、うちのじゃがいもさんは。

野菜が死ぬと言うこと。

家庭用に育てていた野菜たちも被害を受けた。

トマトは青いうちに雨が降り始めて、なかなか赤くなってはくれなかった。
やっと色がついたと思ったらバキバキに割れて、これが出荷する子たちだったらと思うと涙が出た。
家庭用だから、普通に食べた。

とうもろこしは受粉することでぷっくりと実になるけれど、雨でしけっている毛に花粉が満遍なくくっつくのは難しかったようで、裏っかわが総じてしわしわの実になってしまった。

(受粉不良の実は硬い。美味しいところはコーンパンにしたくて加工した。)

他の野菜に比べて比較的丈夫な芋という野菜は、あんまり滅多なことでは病気にならない。

なったとしても一つの芋の表面の一部で済むことが多かったし、そんな一部がやられたお芋も他の部分から芽を出せたりして、全部が、一つが、死ぬということを経験したことがなかった。

雨が落ち着いた頃掘ったじゃがいも。
真っ黒に、全部が変色して、一部には白いカビが生えていた。生気のない芋を、初めて見たかもしれない。
そこにいのちはもうなくて、とっくに土に還ろうとしはじめていた。

「病気だね」と夫は言った。

もちろん直接その病気(カビによるものらしいけれど、気分が悪すぎて名前を覚えていない)の害を受けていない子もいるけれど、カビ系の病気はツルを伝って蔓延するので、一株全部ダメになる。
特にじゃがいもは、ダメージはなくともその病気が入ると味が極端に落ちる。
それが、雨でしけった土の中でお互いうつしあって、残っている株にいる可能性があった。
こうなるともう見た目ではわからない。

雨を恨むことしかできない。

異常気象に思うこと。

野菜は生き物だ。
そこにいのちがあり、良き土、良き光、良き水、良き空気と共に生きる。
人間と違うところなんて一つもない。

当たり前にある自然環境に守られて私たちが生きるのと同じように、野菜たちはそれら何か一つが欠けてもおかしくなる。

今なんだなあ、と思う。
人間が、土から離れてはいけないことを自覚することも
野菜が、設計図のそのままに作られた工業製品ではないことを知ることも

そこにいのちがあり、手助けする者があり、そうして人間のいのちを支えているのだと言うことを、ぜひ意識して欲しい。

田舎の農業が在ることで、川が守られていること。
川が守られていることで、生活が守られていること。
田舎の農業が腐ったら、川も生活も腐るってこと。

これは農家だけの問題ではなくて、地球に・日本に生きる人間全員のことなのだということを。

ライター/小池菜摘

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